2003,7月-11月

WOMBにて執り行なわれたヴィーナスさんと旅人君の箱庭に遊びに行きました。
イベントのネームも好きだしヴぃーさんのDJも良い感じ、シンプルで気の利いた空間演出。旅人君登場でクラブがちょっとしたサーカステントの風情をかもし出す。イツモどおり肩の力抜け加減いい加減で、つむぎだす音世界。いいですよ。
七尾旅人のひきがたりものがたり「蜂雀」。コレ名作だからみんな聴いたほうがいい。あと引きこもりや、精神の危機を感じている人、なんかに嵌りすぎてバランス取れなくなってる人もしくは創作表現関係の人、はたまた考え足りない人なんかは彼のサイトTAVITONETを開いてみたらいい。
彼の日記にきっと救われるだろう。
イベントの最後には飾ってあった花を客が持って帰れると言う粋な施し付きで来場者一同暖かい気持ちになリました。

何かの縁の円の力で導かれどんと院まつり。どんとと言うミュージシャンがいた。直接話した事はなかったけど、何度かライブを観た。好きな曲もあった。貴重なヴァイブを持ったメッセンジャーだったと思う。参加できて光栄だ。
出発前にディジュマスターABOさんの家で食事とCD,手作りのバンブーサックスまで頂いてしまった。光栄だ。
これから初のリード楽器の練習に燃えるのだ。場所はいいし天気もいいしきれいな富士山サンが見えてサイコ-でした。
思いっきり好きなようにヤッテクレと言うABOさんは懐が深い。改めて感動だ。そして自分の浅さに気づかされるんですよ。

忘れてしまってはいけない大事な事、返さなきゃならない恩、伝えておきたい想いというものがある。
それを忘れてしまい、あとまわしにして、ため込んでしまうこと。イヤだな、そういう部分。後悔の念に時間を支配されるのは辛い事だ。
かずおちゃんが死んじまった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
見舞いにいけなかった。//・・・・・・・間にあわなかった・・・・・・・・・もう一度会いたかった・・・・・・、。凄く悔やまれる。悔やむ、悔やんでしまう//・・・悔やみきれない・・・・・かずおちゃんはその昔世話になった、俺の敬愛するアイヌの白髪白髭のホ-リーマンだ。お酒が好きで、音楽を愛していた。悪ガキみたいなところと長老のグレートスピリッツをもつ魅力的な、生きる芸術のような、そして何よりいい人だった。
どんと院まつりの二日目、天空を見上げながら麻ことの話を聞いていたときにその知らせをメールをうけとった。空にでかい雲がかずおちゃんの顔だった、その後ろから小さな俺の横顔が口を尖がらせて追いかけていた。ほんの一分程度だったけどきっと何かが俺だけに見せてくれたほんとにリアルなショートフィルムだった。そして一陣の風が吹いた。この夏俺はいろいろな事を、大事な事を思い出すことになる。
かずおちゃん。またね・・・アリガトネ。ソンデ、何か御免ね・・・。好きだったから認めて欲しかったんだけどね。いつも旨く伝えらんなくて。
っちでどんとと逢ってるかな。 
いろんな意味で多くの示唆に満ちたいいお祭りだった。
プラーナ。ハレ、カンパラ。遠い遠い未来の記憶にLINKする。富士開き。浄化、夏の始まりにいいセットが出来た。
今が今でありたい。それが理想だ。単純で力強いものに成れたらそれは素敵な事だ。身体や細胞に刻んだ有効な記憶や記録を取り戻し、習慣からくる悪循環、執着をリリースする。
自分に足かせをはめるな、自分。自分から重荷を背負うな、自分。自分が自分である事に迷うな、自分。

七つの太陽、メソッド、
神のよりしろ、     つづく・・・・・・・・

縁の宴ionスタジオ訪問。 まったくもってシャンティイな場所、ピースフルな人々。モンゴディーバ月山の祭りリハーサルにお邪魔した。
虫の音にやられっぱなし。だいぶ癒され浄化された。いろいろな人が集まりひとつの場を作る、和に至るまでを経験する、それは貴重な瞬間、久々に大勢の楽しいセッション最高でした。いろいろな再発見、再気づきがありましたありがたい。旨くつなげよう。コクボさんをはじめ一人一人魅力的な人々シャンティーピープルありがとう。
武川温泉、フォッサマグナからくる非特異的変調効果。台風接近。くわばらくわばら。

ケイシロウさんのシェフぶりにも驚いた。
なんて素晴らしいんだ、みんなの為に美味い料理をつくる、ふんぞり返らないプロデューサー。
ミンナそれぞれに帰っていく。
我々はメンバーのゆう君を連れTOKYOに帰る、彼の目的地は黙ノ家の目と鼻の先だった。 奇遇。

台風が吹き荒れた日の夜、モンゴのゆう君の忘れもの(ストラムスティック)を届けに黙の家に、近くにオフィスがあるというモジヤ?モヤジ?君(ドレッドロックス)とオーストリア人のシャドー(きのこの研究をしているという)もいた。オーストリアのポストカードを沢山見せてもらった。凄い場所があるもんだ。 ひとまず別れて、黙、シャドーと青山「共存」へ、エイリのイベント。
頃合良くちょうどショーが始まった。フレッシュなエネルギーがある。 良く練られたコンセプトがある。 スペースを良く生かしたアイディアがある。場所ごと海外のどこかに移動したら結構受けるんじゃないだろうか。賢い賢い。 フルも茶太郎もいい顔をしている。
止まらない文化祭、後は良しなに・・・原宿に戻り ギーのカレー(うまい)をいただき、DECO(いいROOM)でのんびりとして、さらに黙はオフィスに音楽をやりに行こうと言うのだが、我は明日、山に行くのでやむなく終電にて帰宅。つづく・・・

シピラ・・・心底肩の力抜けたのはココだった。

お盆チュ〜ル千葉にこんないいところが・・WOODSTOCKカフェ。
常に笑顔のSTAFF不思議素敵なスポット。演奏もいつもと違って新鮮な気分。
鈴隊のサポートも入り、ここは天国感倍増。雨なりに楽しんだ、日本の夏、お盆ギャルド。GOODロケーションNICEフィーリング。でらけんTHANX!

首を寝違えて右を向けない男。北へ。。。クリーンエア・クリーンウォーターそれが贅沢というモノ。スパ、スパ、スパ・・ミネラル、地底のエキス。中てられて時にダウン。毒だし,自虐的治療。火星大接近。足くじく事2回。やはり右。硫黄2まっち。結局風邪を引く。しかし果てしなく広がる景色,風。ほんと何も考えないでいられるのは久しぶり。何年ぶりかに頭ン中大掃除できた。海の石、流木、蝉の歌。

気持ちの問題さ。つまりは自分の気持ちを治めるために必要だったのさ。それで動く事が有ってもいいじゃないか。独りよがりでも。

それでかずおちゃんに線香あげてきた逝く間際の事を聞いて、辛くなった。どうしようもなく繋がってしまっているという事の因果をつよく感じた
からっぽ。反復。

ナにかというと研究会などを発足する。シンクロするもの同士がそのサイクルを拡張したり高めあえばいい。日々行われている事だ。
維持する事に執着はしない。小さなメディアである事に誇りを持つ。本当は自分の記憶力の欠如を補うために繋がりあう、だったりして。他人の脳の記憶力をも借りて自分に方向性を作り出す。宇宙の図書館は肥大しすぎて情報にまとまりがつかないので・・・興味は尽きる事がない・・集中を高め,明確ににわきあがらせる為に同士(導師)がいる。
多趣味多面体多重人格。反射する感応体。何者でもない自分を何かとして繋ぎ止めるのも他人の仕業。
遊び,勉強の連続。カテゴライズする事はもはや遊びでしかない。
温泉愛好会,卓球クラブ,アニメーション研究会,素敵本サークル、,ボードゲーム愛好会、ボーリング道場,江戸学会,お好み焼き研究,鍋奉行育成会、リズム研究所,アナログ研究会,チェス同好会、飛行実験室・・・・・品評会・・・楽団・・まつり・・・。
ナにやっててもおのずと興味の湧く傾向とか癖がみえてくる
,そしたらまたこれ研究。 

表現の拡張としてのアニメに興味を持ち,リサーチし始めてた矢先にそんなお仕事入りました。「天才てれび君」の子供達が歌うMV。ロケでは洞窟に秘密基地を作リ,中間で使うアニメ(というか背景画)をモクとコラボレーション。体力落ち気味の我はぜえぜえいいながらもち知恵をしぼって頑張りましたとさ。またもやいい勉強させてもらったのさ。この作品は近々ONAIRされると思うが,なかなか歌もいい曲だし、大人も要チェックです。もしかしたらグリグリくんの鳥化したもの(グリ燕)が羽ばたく姿を見れるかもしれません。

9・10小林充人、稲生座。

歯車が,大きな歯車が,動き出す。でも思惑を押し潰すことは出来ない。思惑を無き事には出来ない。

なんだかミンナ最近飲んで独白,自分史暴露が流行だった。そんな事が必要な季節が同時に訪れた貴重な仲間達に乾杯。


自ら好んで不幸の仲間に入る人間には、おそらく幻滅の別種な奇跡が用意されている。
言い現しえぬ或るものが彼に近づいて来る。
その或るものにおいては幸福や真実というものは、偶像的な幻影に過ぎない。
大地はその重みを失い、地上の出来事さまざまな力とは、夏の夕べに彼のまわりに薄明ガ拡がっていくように、夢幻的なものとなってゆく。
それに眺めいっている人間には、あたかも自分がちょうど目覚めかけたかのような、そしてただたゆたっている夢の雲が、まだ自分のまわりに戯れているような、思いがする。
その雲もやがては吹き払われるであろう。 

そのときは昼である。   ある哲学者(N)の言葉
  ロケ      911
おっ!何か今日はすっきりとして軽快な気分じゃないか、なんて時があります。レム睡眠とかと関係があるのか、はたまた昨日食べた物なのか、気圧のせいか、内因性か外因性か心因性か、なんてことはわからないが環境やその他いろんな事の結果が清々しい気分を生み出しているんだろう。わけもなく走り出したい気分とか、真っ裸で自転車に乗っている爽やかさ(やった事ないけど)ガキの頃はよくあったような気がする。コレ、この気分を持続させたいのだ、いつもこの感じでいれたらいいのだ、いれるようにすればいいのだ。これでいいのだ。

最近、やっと秋はいいなと思えるような
落ち着いた感性を取り戻しつつあると思われる。
悪くない。
壁に降りた虹  913

味と音。核。シアノバクテリア。裏切りと善の脚本。
9・30  お台場でを鑑賞。古典芸能の圧倒的特異性。圧巻。なまらやられた。
10・4  CAMPS バタバタ、バタバタふつーにしているよいショよいショ。出発だ。
偶々沖縄料理ねらいで現れた旅人君の誘いで旨い具合にエネルギー補給と気分のリセットが出来た。
今回はALEX(サンプリングMIX),藤枝伸介(SAX),エイリ(ヴォイス&テルミン)も参加で7人のセット。様々な展開を含みつつまとまるかに見えたがやはり問題は問題のままやはり今回も問題作最新版。その価値はそれぞれが噛みしめればいい。
ミキサーが死んでいたりテルミンの音が出なかったりハプニングの中、融合と分裂が続く’ARDのステ-ジは今回もHARDでした。
ミミ、ダイスケ、ヨウヘイありがとう

翌日、黙の誘いで夜のバス、槍登山に向かう。朝6時に上高地。寒い。震えながらお握りを喰い寝ぼけ眼で歩き出す。
花、太陽、風、緑、赤、黄色、川、水、岩魚、雲、きのこ、木の実、光、雪渓、滝、イオン、空気、石、岩、土、橋、鳥、蟲、音、気配、細胞、苔、細胞、匂い、記憶、NK細胞、治癒、痛み・・・、すべてを感じ、すべてが今ココにいる自分に繋がっている、果たして この現実は夢じゃなかろうか、いやこの夢の中にいるような感覚こそがリアリティーなんだ。人、笑顔、久々の100万jの笑顔8さん。山小屋の皆さんありがとう。
山を登っているのに道が下っている不条理。足元が危ない場所でもつい目を奪われる罪な景色。そこに立たないとわからないこと、そこに行かないと見えない景色がアルンダヨ。それを思い出させてくれた。そのために登るのさ。つい忘れてしまう、わかってるつもりになっている。そんな自分を上から見れた。ぶり返す言葉言葉の意味が変わる瞬間。盛り上がる会話、言葉がいらなくなる時間。空気が濃い空気が薄いのに抜けがいい。はあ〜最高だ。なんと道中仙台にいる友人グラムと遭遇したりもした。黙も同窓生に会っていた。夕日、雲海、月明かり、☆三昧、最高三昧。飯が旨い。

水面 紅葉

の質問は空虚だ。その問いかけは空っぽだ。言葉泥棒、時間泥棒。
無意識のドロボー行為、別に罪じゃない、罰もないだろう。オリジナルなんて知ってるやつだけが知ってるんだから、意識的でも罪はない、罰はあるかも・・。まあ結局それも自分で作り出すものだ。自意識、強い自意識、経験をもたない自信、裏付けのないプライド。
つまりは寂しがり屋の甘えんぼちゃんってわけだ。
昔の誰かに似ているかもね、でもその質問じゃとどかないんだよ。経験してないから身体で判断できない。言葉が通らない。、、、

経験しなくても感じる事も話す事も想像して理解する事も出来る、。そして常に経験が正しいとも限らない。

ひとひとりはひとがかさなってできている
ひとひとびとひとりひとりひとりひとり、ひとつ冥土の土産に与太公の世迷言など聞いておくのも一考か・・。

誰でも一緒か。 ナンダお前もか。。。
そのとき痛くても、そのとき痛いほど後で実るときもあるけどね。
ココのところ毒だし付き合せて悪かったね、ただそのお前の人を見下したい願望?にはうんざりだ。反射するしかない。
怒らせようとしているとしか取れないような、そんなじゃ付き合いきれないね。
なんでもタイミングが大事でしょ。気持ちよさを共有できないだけならまだしも礼儀知らず、慇懃無礼、デリカシーなし。
それでは深い付き合いはまだまだまだだ。

自分の弱点に気づいてもすぐに改められるモノではないのです。
これ以上失望させないでくれ、つまりこれ以上俺自身に失望させないでくれ。
(このところの一連のうだうだしたくだりは別に特定の人物に向けていない、鏡としての俺自身に向けている、深く考えずに進んでください。)

結局自分に跳ね返ってくるのだから、ただそのサイクルは益々速く・・・・・・・
10・25ロビンのイベント、LOST&FOUND。音、人、新鮮な出会いがあった。

古い友は大事だ。俺を笑わしてくれる。美三珍-貝塚。

今年も誕生日inはらっぱ祭りとあいなりました。普段なかなか会えない人も含めてバタバタと広範囲の仲間に遭遇するのもこの祭りならでわ。

が呼んだか知らないけれど神様のシナリオは絶妙だ。そのときその場所に居るやつが物語を動かす。
ハプニングこそアートか。観客は思い思いの納得を試みる。何がいいとか悪いとかではなくエネルギーがぶつかり合うことが起きるのだ。それが人間だカラ、自然だから。
カラカラ笑え笑いに換え
ユーモアが足りな

トラウマの疵を舐めにやって来る。傷を治しにやって来る。抗えないほど血をかき乱す・・・ココに現れる情動、狂おしい衝動。快感と不愉快の狭間、バトルフロント。
それを求めていたじゃなかったか。振り切った後に何があるのかを求めていたのではなかったのか。と思うのだ。フリキッタ後に見える景色がいいんだよと我が言ったのをイマ思い出した。 

ホームランのレコーディング。新たな伝説。天体的にも特別な日だった。何より飯が旨い。

予知、くる、、、、、、、来た  地震。    こいつ

言葉に疲れたので暫く休みます

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