尊卑分脉
 尊卑分脈(正しくは『尊卑分脉』、そんぴぶんみゃく)は、日本の初期の系図集である。正式名称は『新編纂圖本朝尊卑分脈系譜雜類要集』である。通常、名称が長いために、略されて、『尊卑分脈』と呼ばれる。別名に『諸家大系図』がある。
 姓氏調査の基本図書のひとつで、南北朝時代から室町時代初期に完成した。編者は、洞院公定(とういん きんさだ、1340年 - 1399年)で、主に永和3年(1377年)から応永2年(1395年)にかけて編纂された。ただし、公定没後も養子満季、孫の実煕ら洞院家の人によって編集・改変・訂正・追加が行われた。室町時代以降、広く増補改訂されたため、異本が多く、30巻本・20巻本・14巻本が流布した。
 成立当初は帝皇系図・神祇道系図・宿曜道系図を伴ったらしいが失われ、現存する部分は源平藤橘のうち藤原・源の両氏(いずれも長く宮廷社会の中枢にいた)に詳しい。直線で父系を結び、女性は后妃など極めて一握りの人を除き「女子」と省略される(紫式部など有名な女性も例外ではない)。系図に名の見える男性官人には、実名とともに生母・官歴・没年月日と享年の注記を含む略伝が付され、最も貴重である。平安時代および鎌倉時代に関する記載は一級の史料として採用される。公定死後の部分に関しては他の史料との整合性や比較批評が必要とされる。また、加筆されている部分も同様である。

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