秀吉が近江長浜城主だった頃、鷹狩途中に在る寺を訪れた。
「羽柴筑前じゃ、茶を所望致したい」
後頭部が突き出た少年が持ってきた大きな茶碗には、ぬるめの茶がはいっていた。鷹狩で喉が渇ききっていたので、秀吉は一気に飲みきった。
「小気味よし!さらに一服所望じゃ」
二杯目の茶碗は前に比べると小さめで、湯はやや熱めで量は半分くらいであった。秀吉はそれを飲み干し、もう一服を命じた。
三杯目の茶碗は高価な小茶碗で、湯は舌が焼けるほど熱く量はほんの僅かであった。秀吉はこの少年の気配りに感心して長浜城へ連れ帰ったと 云う。
この後頭部が突き出た心利いたる少年が幼名佐吉、ついで三也と称し後年に石田治部少輔三成となるのである。