その後、夢想権之助は黒田藩に召し抱えられた。 藩においては権之助を師範と仰ぎ、十数人の師範家を興し、盛大に指南せしめ特に藩外不出のお留め武術として三百年来伝えてきたものである。
杖の変化
杖術は、杖を武器とする武術である。 杖の長さは四尺二寸一分、直径八分の丸木で、見るからに平々凡々の武器であるが、しかし一度動けば槍となり、薙刀となり、太刀となり、千変万化する偉大なる特性がある。
伝書に「突けば槍 払えば薙刀 持たば太刀 杖はかくにも はずれざりけり」とあるとおり、突き・払い・打ちを技とし、また、左右両技を等しく使うことが特色である。 返し突き・返し払い・返し打ちなど左に応じ右に応じ、払えばたちまち打ち、突くなど左右の技を連続的に使い、敵をして応接に暇無からしむるものである。
この練習を積めば、四尺二寸一分の杖を自己の手足のごとく操作し、相手の動作に応じて体を転じ、凶器持物を打ち落し、攻めまた虚を打たせてその瞬間に打ち倒すなど、時に応じ場所に応じて剣となり槍となり、あるいは薙刀の妙味を発揮し、また柔道の当身・逆手などの動きをするものである。
杖の形
杖術の形は真剣形といわれ、表業・中段・乱合・影・奥伝・秘伝として六十四本あるが、この形は非常に精錬されたもので、いわゆる武道の先・先の先・逆の逆をいったところをその根本機構としている。
なおさらに注意すべきところは「武」の本領をその指導原理としているところである。
すなわち
傷つけず 人をこらして戒しむる
教えは 杖のほかにやはある
杖は円形であり先も後も無い。 時には先となり、時には後となり、見るからに平凡であり平和である。 その杖は先を取り裏を利し虚々実々の妙と神技を有しながら、その表現は美であり雅である。
武術としても最も非攻撃的であるかのようであるが、一度動けば電撃の勢いを生じ、千変万化する術を蔵している。 しかも平和なうちにも偉大なる武の徳を本体としており、ここに杖道の指導精神の本質的な特異性があるのである
形の必要性
防具の完備しない時代に於いては、形を唯一の練習方法として、これによって姿勢を正し、目を明らかにし、技癖を去り、太刀筋を正しくし、動作を機敏軽捷にし、刺撃を正確にし、間合を知り、気位を練り、機会を知り、業を修得する等事理両面の修行をなしたものであります。
従って各流の形は、それぞれその流派の粋を抜き特徴を挙げ、基本的なものを選んで構成されておったのでありますが、防具の完備につれ竹刀打の稽古の普及と共に形の重要性は次第に修行者の間から忘れられ、ただ形骸を存するに止まるという状態になって参りました。
然し、形は前途のごとく、その流派の粋を抜いたものでありますから、各流の形を広く研究し、これに深く修熟するならば、利するところ甚だ多きものがあります。
幕末の頃までは、防具を着けた竹刀打はせず、形のみによる修行で妙域に達した名人達人も少なくなかったのであります。
その時代にあっては竹刀打の稽古をするにしても十分技に熟達して後、初めてこれを行うのであって、剣道入門の第一歩は総て形から入ったものであります。 その後基本動作指導法が遺憾なく研究されて参りましたので現今では必ずしも形から入らなければならぬとは限りませんが、深く斯道を究めようと欲するならば一応形の研究から入らねばなりません。
形を演ずるに当っては真剣をもって敵に相対する心持で、寸毫の油断なく一呼吸といえども荀くもせず法に従い規に則って、確実に練習すべきでありまして、単に形のみでなく、充実した気合をこれによって会得しなければなりません。 そして形が形だけでなく実際の試合にまで応用し得るように練習すべきものと思います。