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昭和18年12月へ | 昭和19年1月(1944年)〜昭和23年1月(1948年) | 昭和23年2月へ |
青い文字はクリックできます。関係写真等は後日整理してアップ予定です。 | ||
年 | 管理人コメント | 世相 | |
昭和19年 | ・19年から22年までの記録は残念ながら見当たらない。 当初から存在しなかったのか、紛失したのかも定かでない。 ・右の世相で示すように、戦時下の生活は想像もできない。 |
3月__ 6月19日 6月30日 10月23日 |
インパール作戦:戦死者3万人、戦傷病死者4万人 サイパン陥落:日本の守備隊2万7000人 及び一般邦人1万人とともに全員玉砕 国民学校の学童の集団疎開が始まる。 日本野球連盟が日本野球報国会と改称。試合は一時停止。 第13回オリンピック(ロンドン)第2次世界大戦のため中止。 |
昭和20年 | ・長男(管理人)出産のため 鹿児島市から20kmほど離れた山間部(蒲生町)へ疎開する。 ・直後、6月17日に鹿児島大空襲により、市街地の約9割が焦土となる。 我が家の庭先にあった防空壕も爆弾の直撃を受けて、利用されてた近所 の方々が被害を受けたらしい。 管理人は生まれる前に家族の命を救ったことになるらしい。 B29百数十機により、一夜にして投下された焼夷弾は13万発に上り、 約2300人が死亡、約12000戸が瞬時に焼失したらしい。 ・8月6日 長男(管理人)が原爆投下と同時に無事生まれる。 |
3月10日 3月18日 8月6日 8月9日 8月15日 9月8日 |
:[東京大空襲] 死者約10万人、重軽傷者約11万人、罹災者の数は89万人 :国民学校初等科を除き 4月より1年間学校における授業停止を決定。 :午前8時15分 広島に原爆投下される。 :午前11時2分 長崎に原爆投下される。 :玉音放送、ポツダム宣言受諾により日本無条件降伏(敗戦) :米軍が東京の占領開始。 |
昭和21年 | ・食糧難の時代である。 ・疎開先の母方の実家である祖母の家にそのまま住み着く。 幼子の長男(管理人)は、サトイモだけを食べて生きながらえたらしい。 その管理人は、今ではサトイモが嫌いで食べられない。 |
1月1日 2月25日 4月27日 11月3日 |
:天皇の人間宣言 天皇の神格化を否定する昭和天皇の言葉をラジオ放送した。 それまでは現人神〔あらひとがみ〕とされていたのだが、 「実は、自分は神様ではなかった」という主旨。 :新円発行 日本銀行が新円(百円札、十円札)を発行 :プロ野球リーグ戦再開 戦争でストップしていたプロ野球のリーグ戦が再開 :日本国憲法公布。 |
昭和22年 | ・12月13日 長女が 5歳で死亡する。麻疹の合併症らしい。 その時、この家計簿の主は妊娠9ヵ月の身重の身であった。 |
4月1日 5月3日 12月22日 |
:六三三四制がスタート。小学校6年、中学校3年が義務教育に。 :日本国憲法が施行された。 :改正民法公布 家父長制の家制度から夫婦単位の制度になった。 改正戸籍法公布。 |
昭和23年 | ・1月7日 まだ長女の喪も明けぬ七草の日に次男を出産する。 ・大分心が安定してきたのか、2月から手作りの日記等が記載されている。 |
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