銃後の実態を検証!
「戦中・戦後の家計簿」より

昭和17年家計簿




昭和17年主婦日記
 昭和6年(1931年)の満州事変から昭和12年(1937年)の日華事変(盧溝橋事件)勃発後、日本軍は南京を占領して南京入城・南京大虐殺事件、そして昭和13年(1938年)には国家総動員法勅令が公布・施行されて、物資の生産、配給、使用、消費、所持、移動ほか日々の生活態度や言動・服装(すべての人的・物的資源)が総力戦遂行のため、政府が統制するという15年間に及ぶ戦時下の時代の話である。
 昭和16年(1941年)5月26日、九州最南端の鹿児島市において、ある女性(20歳)がひとりの男性(小学校教員26歳)と結婚した。
 彼女の父は、日本が南京を占領後、華中鉄道株式会社創立に参画のため、上海に赴任していたが、病に倒れて軍用機で日本へ運ばれ治療を受けるも、彼女が結婚する2年前に他界している。 結婚して約半年後の12月8日には太平洋戦争開戦となる。
 戦中戦後の混沌とした時代、一女三男をもうけながら波乱の人生を送ることとなるのだが、平成8年10月、76歳で他界するまでの半世紀以上にわたり、婦人之友社の家計簿と主婦日記を記し続けていた。終戦前後については婦人之友社より入手困難であったのか、手作りのノートに克明に記入されている。
 本人没後、これらの大量の記録資料は大部分が処分されてしまったが、その一部を最近発見したので、貴重な記録としてデジタル化を思い立ち少しずつ整理を始めた。
 戦前の書体や地方独特の文言ほか不鮮明な文字もあり、傷みも進んでいるため非常に読み辛い部分も多いが、可能な限り現物に忠実に再現して公開していきたい。
 当時の世相や物価等を知る上で何かの参考になればと思いつつ・・・・・・。   
平成18年9月 管理人

昭和23年手作り





昭和24年手作り
順次 公開しています。水色の月は一部公開済です。 主婦日記は昭和17年分より公開します。  最終更新日2018.10.20
昭和16年(1941年)            6月   7月  8月 9月 10月 11月 12月
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昭和24年(1949年)  1月   2月   3月   4月   5月   6月   7月   8月   9月  10月 11月 12月
昭和25年(1950年)  1月   2月   3月   4月   5月   6月   7月   8月   9月  10月 11月 12月
※ 金額の単位は円です。100銭で1円です。最小単位は1銭となります。
※ 家計簿は費目別に記入するようになっていますが、簡略化して当座帳の形式で公開します。
※ 費目について
     :副食物費  調:米・燃料・調味料費    :住居費  :家具費  :衣服費  :交際費  :教育費
     :職業費(夫の小遣ほか) :修養費   :娯楽費  :衛生費  :臨時費  :特別費  :貯金及保険
   注1.副食物費の内訳は当座帳に記されており、家計簿には明記されていません。
   注2.交際費購入のためのバス代や送料などは交際費・・・・・・といった具合に分類されています。
昨年(2006年)12月、“戦時下の若き主婦の家計簿・日記”の原作者の兄弟でただ一人だけ
ご存命だった方が亡くなられた。
いろいろと貴重な資料をいただいたり、今だから話せる秘話等をお聞かせいただいたり
しておりましたが、突然の訃報で残念でなりません。
わずか1ヶ月ほど前に直接お会いして歓談したばかりであったのですが・・・・・
ご冥福をお祈りいたします。 
  しばらくお休みしますが、心の整理がつきましたら更新を再開いたします。  ===== 2007年4月 管理人 ===== 
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