ファンタジーとホームページのおとし穴



ファンタジーとホームページには共通点がある。それは、何でもできるということだ。

それが、どちらにも共通の落し穴になる。

ファンタジーは思いのままに空想の翼を広げて、現実とは違う世界を創造することができる。この世界には、魔法使いも、もの言う動物たちも、永遠の命を持つ神々も住まわすことができる。不思議な力を持つ指輪、死にかけているものを一瞬で立ち上がらせる薬、一口食べれば力がみなぎるエルフの食べ物、姿を隠してくれる服、どんなものでも作者の望みのままに作り出せる。険しい山、はてしない荒野、入り込んだ者を迷わす深い深い森、作者の描く通りに地図は姿をあらわす。

そして、主人公にどんな力を授けるかも、ファンタジー世界の創造主である作者の意思にかかっている。力強さ、知恵、勇気、やさしさ、そのすべてを作者が与える。

個人のホームページの作成者も、自分のページでは王様になれる。技術的な問題を別にすれば、デザインもコンテンツもすべてを自分で決めることができる。それは、現実の仕事、いや、家庭やプライベートの時間でも決して経験できないこと。すべてを自分の思い通りにできるすばらしい空間だ。

しかし、実際のところ、本当にすべて自分の思い通りにページを作っている人は、それほど多くないのではないだろうか。あまり画像を多くすると、ページが重くなって表示に時間がかかるなど、訪問者の使い勝手を考慮することもある。

けれども、最大の理由は、アクセスアップを考えるとどうしても訪問者からどう評価されるかという点を無視できないからである。結局、自分ひとりの城であるはずのホームページも他者の目を意識せずには作れないことになる。

ファンタジーでも同じこと。何でも望み通りの食べ物が出てきて、おなかをすかすことも、のどが渇くこともない。暑さ寒さや、怪我に苦しむこともない。すぐに目的地につけて使命を果たせる何一つ困難のないファンタジーなど誰も読まないだろう。

強くて恐ろしい敵がいてこそ、勇者の武勇は鳴り響き、悪賢い陰謀があってこそ、賢者の知恵もたたえられる。恐れたり迷ったりするからこそ、読者は主人公に感情移入してワクワクドキドキしながら共に冒険できるのだ。ちょうど、「果てしない物語」のアトレーユがバスチアンを連れてきたように。

枠組みや制約をあえて課さないと、ファンタジーもホームページも、ひとりよがりの魅力のないものになってしまう。

 今回は、自戒をこめて書いてみた。次回は、「ファンタジーの風土」お楽しみに。




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