地の底から太陽を見る人  
 このごろよく思い浮かべる二人がいる。レオ・レオニの絵本「フレデリック」のねずみのフレデリックと、ナルニア国物語「銀の椅子」の沼人、泥足にがえもんだ。
 フレデリックは仲間達が食べ物を集めている間ずっと、おひさまや麦を見ていた。冬には、ねずみたちは暖かい穴の中にいて、食べ物も充分に蓄えてある。でも、穴の中は暗く狭く、冬は長かった。その時、フレデリックが語り始める。夏の日のおひさまのこと、黄金色に実った麦のことを。灰色の穴の中で、ねずみたちはあの夏の光景を見ていた。
 泥足にがえもんは、地の底で魔女に出会う。人間の王子と子供たちは、魔法の薬と魔女の言葉に、地上のことも太陽があることも忘れ、この地の底が世界のすべてだと認めてしまう。でも、沼人は、地の底にいても太陽のある世界を信じることができた。彼が魔法の薬のけぶる焚き火を踏み消した時、魔女は敗れた。


騙されまいとしていると、見えないもの  
 人は忘れっぽい生き物だ。うだるような夏の暑さの中で、冬の寒さを忘れ、凍える冬の寒さが続けば、夏が帰ってくることが信じられなくなる。でも、夏は毎年やってくる。秋の後には冬が来ることを誰でも知っている。人は気をつけてよく見ることと、想像力を働かせることができるからだ。
 しかし、悪いことばかりが重なる日々が何年も何年も続くと、人はこの世界にある善きものの存在を忘れてしまう。表面のおおいをはずせば違うものが現れるかもしれないのに、光や暖かさが顔を出すことなどないと思い込んでしまう。騙されないように、迷わないようにと、今、目に見えるものだけを見ていると、世界のすべてが暗い地の底だと確信してしまう。


土の天井の上の緑の地上  
 地の底の暗い土の天井の上には、太陽の光あふれる緑の地上があることを教えてくれるのが、詩人や物語を作る人たちだ。彼らは鋭い目と豊かな想像力で、目に見えない世界を言葉につむぐ。詩や物語を聞けば、一人では土の天井しか見えない人も、風の音や草の匂い、心地よく疲れて見上げる空の青さまで、たやすく思い出すことができる。
 そして、泥足にがえもんのように、心の中に太陽の輝く地上の世界を持っている人もいる。彼らは、たった一人で地の底にいても、いつでも自分の望み通りに太陽を見ることができる。
 ファンタジー文学の読者も彼らに似ている。
 ファンタジー文学はただの人間である私たちに、地の底から太陽を見る力を与えてくれる。



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