301A 発 進 ! |
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▼301Aの真髄!
さて、前ページの“?”ですが、では何故302Aが新大阪を6:12に発車して途中、京都・名古屋に停車したのち東京には8:42に
到着する。所要時間2時間30分。これに対して301Aは、東京を6:00に発車し、新横浜のみに途中停車して新大阪に8:30に到着する。
新横浜停車は、新横浜周辺と東京西部の人口を合わせると約1千万。これが理由で利用客の範囲を広げるのが目的だ。
問題はJR東海のお膝元である名古屋と、山陰・北陸の玄関口である京都を通過させねばならなかったか?という真の理由だ。トウシロ
なりに見ると、途中二駅をそれぞれ1分30秒の停車時間で302Aは新大阪〜東京を2時間30分で走破しているの。これに対して301Aは、途中新横浜一駅
のみの45秒停車。どう考えても名古屋に停車しても大丈夫のような気がするのだが・・・ところが、夜間保守作業、すなわち道床交換やレール交換
などが行われた直後は、道床が安定するまで徐行運転しなければならないためである。特に早朝列車はこの分のダイヤ上の余裕をみて設定されて
いる。しかも301Aは、新幹線の中で最も頻繁に夜間保守作業の行われる新横浜〜三島を1番列車として通るためである。
また、ATCの関係上「270」信号の現示区間は東京〜新大阪において、下りで
合計223q、上り
で231q。「255」信号は、下り207.5q、
上り202q。従って上り列車の方が最高速度で走る区間が下りよりも長いのだ。
そこで新大阪に8:30に到着させるため苦肉の策として、名古屋・京都の通過という大胆な手段をとらざるをえなかったのである。
また、これには冬の関ヶ原一帯の雪害遅延対策も
含まれているのであった。こういった理由からみても何よりも新大阪到着8:30を優先させた“のぞみ”はビジネスマン列車を印象づけ、
301Aはただ単に名古屋・京都を通過していたのではないということがお解りいただけたかと思います。
しかし、一般的な目で見るとこの“のぞみ名古屋飛ばし”は、特にJR東海のお膝元である名古屋の人々にとって、波紋を呼んだ
ことは事実である。のぞみ=名古屋通過のイメージがどうやら当時の世間に浸透してしまったようであった。
▼のぞみダイヤのスタート!
「のぞみが延びて日本が縮む!」をキャッチフレーズに平成5年3月18日、
いよいよ“のぞみ”を規格ダイヤに組み込んだ1-7-3ダイヤが幕を切って落とされた。“のぞみ”は1時間ヘッドで東京〜博多の直通運転を始め、
新幹線列車の相互間、新幹線と在来線列車との接続体系を改善して新幹線の高速効果を拡大されるのぞみ列島大動脈を
築き上げたのである。これは、東海道新幹線開業以来のダイヤパターン大モデルチェンジといえよう。従って前年の
開業はこのための先行開業ということになる。
◆8-3 ダイヤパターン◆ 平成4年3月14日改正 |
◆1-7-3 ダイヤパターン◆ 平成5年3月18日改正 |
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▼ 静岡でV編成をパスするF編成・・・1-7-3ダイヤの代表的な1シーン! |
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平成5年3月18日のダイ改に300系はJ1〜J15に、西のF1〜F5を合わせた20編成の体制で運行を始めた。そのうちJ編成が12運用、F編成
が4運用とそれぞれのハコを受持った。
晴れて、のぞみダイヤに成った証しに列番1A〜を直通のぞみが名乗ることとなった。また一番列車はビジネスマン列車の301Aがそのまま
の形で担当し、通過駅である名古屋・京都には雁行する1Aがこれをフォローする形で停車するのであった。この“のぞみ雁行”は平成8年3月16日
のダイ改から“東海のぞみ”として臨立てされ、更には平成9年11月29日のダイ改、「新1-7-3ダイヤ」へと移行していくことになるのであった。
運 用 番 号 |
東 東 東 名 名 京 大 新 岡 岡 広 広 博 博 二 一 古 古 一 大 山 島 総 京 両 両 屋 両 都 両 阪 山 運 島 運 多 車 | 走行キロ (回送キロ) |
A3 | 616A ┌──□──◯ │ 7A ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ └─□─┐ │ 20A ┌─□─┘ ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ │745A └─□─┐ │ 784A│ △─□─┘ | 2176.1 (37.9) |
---|---|---|
A4 | 301A ◯━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 1604A│ ┌─□─┘ │ │1707A └─□─┐ 306A │ ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ │779A └─□─△ | 1055.3 (24.5) |
平成8年3月16日ダイ改の300系は、J1〜J36に、西のF1〜F9を合わせた45編成の体制にまで成った。そのうちJ編成が32運用、F編成
が7運用とそれぞれのハコを受持った。この頃になるとこだまの運用に100系が順次充当されてゆき、米Hはすべて300系で運行されていた。
米Hが300系になったというのは非常に重要なことである。この改正から、のぞみをそれまでの米原から岐阜羽島で退避することとなった。
これには二つの大きな理由があり、一つはK2が名古屋止りとなったためそれを補う目的と、更には岐阜羽島での退避で岐阜羽島〜米原の米Hの
スジを寝かすことが可能になった。それは冬に効果を発揮する。上りを例にとってみると、米原〜岐阜羽島のスジを寝かしたことで雪害遅延による
ロスタイムを最小限に抑え、のぞみを先行させた後、その遅れを途中で回復できるからである。回復といっても遅れの程度にもよるが、10分程度
ならば三島までには〇になる。米Hはこの時、のぞみに化ける! ここでもまた
“のぞみ雁行”となるワケです。これをすべてのダイヤに置き換えると、今日の品川開業のダイヤにつながる青写真が出来上がるのです。
平成8年3月16日のダイ改の301A関係の運用は下記のとおりである。この頃すでに301Aと1Aの統合説が出始めていた。これについては
次ページで説明します。ともあれこれが301A関係の最終運用である。
運 用 番 号 |
東 東 東 名 名 京 大 新 岡 岡 広 広 博 博 二 一 古 古 一 大 山 島 総 京 両 両 屋 両 都 両 阪 山 運 島 運 多 車 | 走行キロ (回送キロ) |
A12 | 610A ┌──□──◯ │ 5A ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ └─□─┐ │ 22A ┌─□─┘ ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ │663A └──□──┐ │ 686A│ △──□──┘ | 2176.1 (37.9) |
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A13 | 301A ◯━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 1602A│ ┌─□─┘ │ │1645A └─□─┐ 1238A │ ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ │737A └─□─┐ │ 768A│ ┌─□─┘ │ 1269A ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 1684A│ △─□─┘ | 1586.2 (40.0) |