スティーヴン・キング作 雨沢 泰訳
アーティストハウス 2001年
作家が12才の娘のために書いたファンタジーと聞けば、夢や冒険で一杯の楽しいお話を予想する。しかし、作者がスティーヴン・キングとなれば、なにか恐ろしいしかけがあるのではないかとこちらも警戒する。だから、身構えて読み始めたのだが、でだしはこちらの予想していなかった展開になった。日本の親は「地上でいちばんゆかいな生き物をつくる行為」について書いてある本を子供が読むと考えると、うろたえてしまうだろう。
その上、読み進むうちにストーリーはますます子供むきでなくなり、ファンタジーの衣をまとった苦い風刺の書になっていく。スティーヴン・キングは恐怖に魅入られた作家だが、このところ刑務所とそこからの脱獄というテーマにもこだわっているようだ。この「ドラゴンの眼」も「シューシャンクの空に」や「グリーンマイル」に続く、囚われた者の物語なのだった。
ローランド王の王子として、国を治めるための教育を受け、やさしさと勇気をあわせ持つピーターは、国中の誰からも敬愛されていた。
しかし、彼が正しく賢い少年であることは、長年このデレイン王国を陰で操ってきた魔術師のフラッグにとってはいまいましいことだった。フラッグはピーターの弟トマスのさびしさと劣等感につけいり、トマスを思いのままに操るようになる。陰謀でピーターに父王殺しの罪を着せ針の塔に幽閉すると、妨げるもののないフラッグはデレイン王国の崩壊に向けて、思いのまま悪事にふけりはじめた。
しかし、ピーターは絶望したまま恨みの中で座り込んではいなかった。脱出して国に正義を取り戻すために、とんでもない方法を考えつく。そして、国中でただ一人彼の無実を信じるピーターの親友ベン・スタードもひそかに動き始めていた。
これはファンタジー文学なのだろうか。読んでいる間、私は考え続けた。
これは、人間や世の中が信じられなくなるような物語である。どんなに誠実に正しく生きていても、どんなに信頼され愛されていても、それが自分を守ってくれるわけではない。人は慕う者や愛する者を求めるが、それが見せかけだけで裏には悪や弱点があると知ることも喜ぶものだ。世界的に有名な父を持つ娘に、作者はそれを警告したかったのだろうか。
最後まで読んで、私はそれだけではないと考えた。ピーターは、針の塔での最初の1週間何も食べなかった。あきらめたからではない。頭をはっきりさせ、自分を取り戻し、これからどうするか考えるためだ。自分の意思で動くことが出来れば、人は打ち負かされることはない。ピーターは罪人として幽閉されている間も、ずっと王であり続けたのだ。
自分を失わないための心の中での戦いも、ファンタジーの勇者の冒険なのだ。
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