「黄金の羅針盤」


 
フィリップ・ブルマン作 大久保 寛訳
    新潮社 1999年



 「黄金の羅針盤」は、荒々しく力強い物語だ。カーネギー賞受賞や「今世紀最後の大ファンタジー」との賞賛にふさわしい、スケールの大きな作品である。

 ある日、11歳の少女ライラは規則を破り、禁止されている食堂の奥の間に忍び込んだ。そこで、ライラは、学寮長が自分のおじである有力者アスリエル卿のワインに毒を入れるのを目撃して、おじを救う。この時、ライラは、自分が黄金の羅針盤、すなわち真理計を読むことのできるただ一人の人間で、世界を動かす役割を果たすことになっていることを知らなかった。知らないままで、すべてをやらなければならない。それが、ライラの定めだったのだ。

 ページを開けば、本の中には、ロンドンの街があり、北極がある。しかし、この物語の世界は、現実の世界とどこか違っている。

 一番違うのは、人間はみな動物の姿をした自分のダイモン(守護霊)を持っていることだろう。人間とダイモンは、数メートル以上離れることができない。それ以上離れると、どちらも痛みを感じるからだ。彼らは、お互いの気持ちを感じあうことができる。もちろん、話もできる。ダイモンには自分の意思があって、人間にクギをさすこともあれば、励ましてくれることもある。

   人間が子供の間は、ダイモンは自由に姿を変えることができる。そして、人間が思春期を迎える時、ダイモンは変身する力を失う。

 私には、ダイモンがこの世界での人間の自我を象徴しているように思える。いるかの姿になったダイモンと離れられないために、生涯、陸に上がれなくなった水夫は不幸だった。それは、ありのままの自分を受け入れられずに苦しんでいる人に似ている。ダイモンを失った子供が死ぬ場面は、親にありのままの自分を受け入れてもらえない、この世界の子供たちの生きにくさに重なって見えた。

 ダイモンについて、これほどたくさんの思いが湧いてくるのは、作者のフィリップ・ブルマンがひとつの物語世界を完成させたことの一例にすぎない。よろいをつけた誇り高きクマ・イオレク・バーニソン、自由の民ジプシャンたち、傲慢で底知れぬ力を持つアスリエル卿、そしてライラのダイモン・パンタライモンなど、すべての登場人物が、実在の人物以上にはっきりと読者の心に刻み込まれる。

 ライラも、この物語の主人公にふさわしい圧倒的な存在感を持っている。彼女は、いわゆるやさしいいい子ではない。育てられているオックスフォード大学の学寮の規則は破る。ガキ大将で、子供たちを従え、ジプシャンたちの住んでいる船を沈めようとする。必要なら、まったく後ろめたい思いをせずに、見事なうそをつく。悲劇に巻き込まれてひどくつらい思いをすることがあっても、必要以上に悲しまないし、自分を責めることもしない。

 この本を読んで、白クマの力強い前足で殴りつけられたような気がした。ライラやイオレク・バーニソンの荒々しいやさしさの前に、自分の考えているやさしさが小さくてやわなものに見えたからだ。

   骨太で、とてもいろいろなことを考えさせる本だった。そして、100年後まで残る本だと思う。



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