ラルフ・イーザウ作 酒寄進一訳 あすなろ書房 2001年 惜しい。もったいない。作者はなぜこの本から深みを奪い去るようなことをしたのだろう。これさえなければ、「第七代裁き司の謎」は私の中で「大切な本」になったのに。これでは「面白い本」止まりではないか。第1巻「ヨナタンと伝説の杖」の書評で文句を言ったように、また、都合のよい展開という印象を与える部分があるのが残念でならない。 さて、「これ」とは何かについては後で述べることにして、この本は「ネシャン・サーガ」第1巻でヨナタンたちが、ペーミッシュのディン・ミキトと別れて禁断の地を抜け出してからの物語である。親友のヨミや小動物マシュマシュのグルギに加えて、海賊のギンバールが仲間に加わる。ラクダを思わせるダクラのクミは、他の人間にはつばを吐きかける気難しい動物だが、ヨナタンとは仲良くなり、砂漠の横断では頼もしいところを見せる。 第1巻ではジョナサンとヨナタンの話が交互に展開して読みづらいきらいがあった。しかし、2巻ではジョナサンはヨナタンの冒険を見守る存在になっているので、読者はヨナタンの冒険に集中して読み進むことができる。 むしろ、ヨナタンが伝説の杖ハシェベトを使いこなし、目的地の第六代裁き司ゴエルが住む英知の庭に近づくにつれ、ジョナサンは目に見えて衰弱し、ヨナタンに気づかわれるほどになる。数々の危険や苦難を超えて成長するヨナタンと、物語の終わりを読むのが怖くなるほどのジョナサンの衰弱ぶりは、ところどころで接触しながら天と地に分かれていく光の軌跡のようだ。 光が輝いて見えるのは、闇があるからである。闇の帝国テマナーの将軍ゼトアが、ヨナタンをつけ狙う。しかし、この巻でのゼトアは、なぜか悪に徹することができないらしい。無関係な人間を殺さないよう配慮する、迷い絶望した一人の人間として描かれている。 ゼトアの描き方に、私は、作者のラルフ・イーザウのできる限り登場人物を殺さないという強い思いを感じるし、そのポリシーには賛同したい。 しかし、ここで最初の「これ」に戻るが、ヨナタンの愛と天地創造の神イェーヴォーの力を示すためでも、死を覆してはならないと私は思う。それをしてしまったら、すべての登場人物の辿ってきた苦しい道のりや気高い心への感動を、わずかでも興ざめなものにしてしまう。物語に引き込まれていたのに、一度気持ちが冷めてしまう。安易な悲劇は必要ないが、ここでは悲しみを途切れさせることはなかったと思う。 それでもなお、この「第七代裁き司の謎」はかなりおすすめの本である。冒険も楽しめるし、ジョナサンの存在があるためか静かなやさしい気持ちになれる。「モモ」を読んでいる時と、少し似た気持ちである。ミヒャエル・エンデに見出されたというのも、よくわかる気がする。グルギやクミはかわいいし、あえてここでは明かさなかったネシャンならではの不思議な生き物もいる。 いにしえの予言の一部は成就した。白いバラを飾り、第3部で涙の地ネシャンに光を取り戻す旅が始まるのを待つことにしよう。 |
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