汽車に乗って


 一人ぼっちの子供が汽車に乗って、見知らぬ土地の見知らぬ人の所へ行く。そこで子供の新しい人生が始まり、まわりの人たちを変えていく。そんなふうに始まる物語がたくさんある。
 「赤毛のアン」「少女パレアナ」「秘密の花園」。
 アンもパレアナもメアリーも、親を失い、当惑している里親や親戚に引き取られる。

 ファンタジーでも汽車の中から物語が始まるものがある。
 「グリーン・ノウの子どもたち」では、トーリー・トーズランドが大おばあちゃんに会いに、グリーン・ノウに向かう。大おばあちゃんはトーリーをやさしく迎えてくれるが、グリーン・ノウのお屋敷には、何百年も前からの不思議が待っていた。
 「ネシャン・サーガ ヨナタンと伝説の杖」では、車椅子に乗ったジョナサン・ジェイボックは寄宿学校から祖父のもとに帰っていく。そこでは、いつも夢にでてくるヨナタンとの出会いがあった。
 兄弟4人そろっていたが「カスピアン王子の角笛」では、ぺベンシ−兄弟は両親の家から寄宿学校へ向かう乗換駅で、ナルニアへと引き寄せられた。そこで彼らは王と女王となり、苦境にあるカスピアン王子を救わなければならない。
 「ハリー・ポッターと賢者の石」では、魔法使いの血を引いたためにやっかいもの扱いされていたハリーは魔法のチケットで、ロンドンから魔法学校への汽車に乗り込む。

 この時、子供たちは、汽車に乗ることによって、場所を移動するだけではない。汽車から降りた時には、今までとは違う存在になっている。その変化は物語によって違うけれど、とても大きなもので、もう元の存在には戻れないのだ。
 ある者は、役立たずのやっかいものから、愛されるかけがえのない存在となり、またある者は、無力で保護されている小さな子供から、世界を救う勇者となる。その中には、現実の世界から物語の世界に入り込んで冒険する者もいる。彼らは、世界がそれまでの退屈だが安全な生活だけでできているのではないことを知る。そこで彼らは苦しみや悲しみも知ることになる。激しい恐怖の前に自分の勇気を試されることも、つらい決断を迫られることもある。もとの場所にいれば味あわなくてよかったはずの、激しく深い感情だ。

 「ホビットの冒険」が、「行きてかえりし物語」と呼ばれたように、物語には、「行って帰ってくる」か「行って、もっと先まで行く」「行ってそこで幸せに暮らした」という形をとるものが多い。子供が大人になる準備をするのには、旅という形で家を離れる時間が大きな役割を果たすらしい。今のところ、その旅に一番ふさわしいのは、汽車なのかもしれない。
 歩きや自転車でははるか遠くまで旅することはできないし、飛行機や自動車では趣がない。もっとも、「ハリー・ポッターと秘密の部屋」では、魔法で空を飛ぶ自動車が登場したので、これから変わっていくかもしれないけれど。

 ファンタジーを読むと、遠い世界に誘われていると感じることがある。大人になってしまった私が汽車に乗ってどこまでも、どこまでも、旅していったら、何かが見つかるのだろうか? 



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