J1 Last Run !

引退の花道は陽光きらめく穏やかな一日だった・・・

2. 運命の宣告 !

平成18年2月21,23日 J1は最後の台検を 行った。それは、同時に運命の宣告!を受けたということに 他ならない・・・。

■ J1なくなったらどうするの・・・?

H18.12/15  8613A  名古屋駅D0#

そう、あれはI氏との会話だった。

「J1なくなったらどうするの・・・?」
「普通に新幹線撮るだけですよ。」
「まぁ、平成18年度内廃車だからねぇ。またそのうち試運転やるみたいなこと言ってたよ・・・」
「そうですかぁ・・・ともかくJ1が走っている限り、最後の最後まで撮り続けますよ。」
「まぁ、頑張ってね!」
「はい、ありがとうございます。」

J1最後の出場シーン
こんな電話でのやりとりがあったのは、平成18年4月のことだった。

そして、夏が過ぎ秋になり、やがて冬がやってきた。J1が一連の台車関係の走行試験を終え、最後の使命となった雪害対策列車として 活躍するため浜工を出場したのは12月15日の日没時刻だった。西伊場第1踏切に姿を見せたJ1を 捉えたとき、ふと思った・・・
「もうこれで撮れないかもな?」
そんな想いもあってか、すぐに私は547Aで名古屋に先回りした。もともとセントラルタワーズのクリスマスイルミネーションを撮影する 予定があったからだ。名古屋に到着したJ1に カメラを向けていたマニアは私を含めて5名ほどいた。ホームは金曜の帰宅ラッシュ時で、大勢の乗客がいた。彼らは、この光景を見て 不思議に思ったに違いない。

平成18年度は暖冬。暫く雪列車も出番なし・・・大一両西電でJ1は、静に余生を送っていた。
12月28日16:30雪害対策が発信。ようやくJ1の出番がやってきた。翌日も雪害対策が発信。私は29日の夜勤が仕事納めだったので明け30日 に出陣。ところがちょっとした遅れから 上り列車に被られThe End ! あぁ、あのときの直感が現実になるとは・・・私は落胆して帰宅した。しかし、これも撮影なのかも知れない・・・

H17年度のJ1雪列車 H17年度のJ1雪列車 H17年度のJ1雪列車


■ 一瞬の出来事に・・・

年明けにもJ1は雪害対策列車で走ったが、結局撮りにはいけず終い。2月1日にも雪害対策が発信された。が、 これには散水試験を兼ねたZ0が当てられ、J1は 出番なし。丁度その頃夜勤から解放された私は、久し振りに泊がけで撮影に出掛けた。2月4日、1Aを狙うべく浜名湖で日の出から撮影 していた。その後260KP付近に移動。この日のメインターゲットはW1。前日の博多ホーム上げから2Aで上ってきた。ヨンニッパ×EX2で 捉えた。返しの25Aまでは時間があるので撮影場所を移動し10Aを撮る ことにした。そして11:55に悲劇は起こった。83Aの接近音に気付き慌て脚立から降りようとした時、バランスを崩してしまった。足元が 掬われ脚立が倒れきた。その時私の身体は無意識のうちに受け身となり、地面に叩きつけられようとするヨンニッパ×EX1.4を必死で 守った。
「しまった!」
そう思ったときは既に遅かった。カメラとレンズの自重7kg強、プラス落下の衝撃をまともに受けた右手は無傷ではいられなかった。撮影 は即中止!そのまま病院へ・・・

レントゲンの結果、右手首関節部分の粉砕骨折と 診断され、ギブスとの生活が始まった。あぁ、このまま1枚も撮れずにJ1の最後を迎えることになるのか・・・これが私の運命の宣告!?

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